BMWの歴史 – 独立メーカーとして歩み続ける確固たるプライド

Bayerische Motoren Werke
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時代に翻弄された創設期

BMWの前身は1913年にミュンヘンで発足した「ラップエンジン工業」に遡ります。

技術者であるカール・フリードリッヒ・ラップが独立開業したラップ社は、同じミュンヘンに1911年に設立され、航空機の機体を製造していた「グスタフ・オットー航空機工業」にエンジンを納入していました。1914年からの第一次世界大戦が特需となり、両社は急激に成長し、特にラップ社では当時のドイツでエンジン最大手のダイムラーからの委託生産も行われました。

1916年にはそれぞれ「バイエルン航空機工業(BFw)」「バイエルンエンジン工業(BMW)」に改名、公式にはこの年がBMW発足の年だとされています。1917年には本社機能をバイエルンに移転、青と白の有名なロゴマークもこの年に図案登録されています。尚、後年になってプロペラをモチーフにしたと公式にも言われているロゴマークですが、実際には単純にバイエルンの州旗をモチーフにしたものだったようです。

この時期の経営の実権はダイムラーのエンジン生産に際してフランツ・ヨーゼフ・ポップが握り、創設期のBMWの発展に貢献しました。また同社のタイプIIIaエンジンを採用したフォッカーD.VIIの性能は第一次世界大戦中の他の戦闘機を圧倒しました。

しかしドイツは第一次世界大戦で敗戦、航空機は生産は勿論開発さえを禁じられ、BFwとBMWの先行きには暗雲が立ち込めます。BMWは一時期は家具製作などを行いますが、程なく汎用エンジン生産メーカーとして再始動しました。このうち2番目に開発された水平対向2気筒エンジンのM2B15型を利用してBMWは2輪車である「ビクトリア」を生産します。

一方でBFwは「ヘリオス」という2輪車の生産を行っていましたが、1922年にはBFwはBMWに吸収合併され、ヘリオスにもBMWのM2B15型が採用されました。

当初は前後方向にエンジンを積んだことにより振動の大きさから不人気だった「ビクトリア」と「ヘリオス」でしたが、1923年にはエンジンの搭載方向を90度転換し、シャフトドライブとすることで振動を低減し、更に走行安定性を高めるという設計変更で人気車種となりました。このバイクがBMWブランドでの初めての2輪車販売となりました。2輪車で弾みを付けたBMWは4輪車の開発に野心を見せます。

しかし当時大株主だったダイムラー・ベンツはBMWが自社と競合する車種の開発を嫌ったので開発は必然的にベンツが販売していない小型車に制約され、またBMWが技術の粋を凝らした試作車は、開発コストの高さなどから資本家に反対されました。

結局BMWは、当時イギリス車のオースチン・セブンのライセンス生産を行っていたディクシー社を買収し、4輪車製造の皮切りとします。以来BMWは独自性の高い高性能車製造を行いつつ、開発が解禁された航空機用エンジンの設計開発も行い、徐々にその規模を大きくしていきました。

BMW Dixi(1930年)

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開発指針の迷走と独立企業としてのあゆみ

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この記事へのコメント 3

  • Zenn のプロフィール写真 Zenn より:

    BMWは航空機が母体でWW2後に自動車に転換したんですね。日本のスバルに歴史が似ていますね。そういえば水平横置きのエンジンや吸気口のデザインがどことなく似ているような。

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  • いくじむ のプロフィール写真 いくじむ より:

    車メーカーの歴史って面白いですよね。トヨタもそうですけど。

    独立ブランドっていうのは大事だなぁと思うと共に、ヨーロッパの自動車ブランドの熾烈な争いを感じました。

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  • kisetu-ju のプロフィール写真 kisetu-ju より:

    ドイツ車は男性があこがれることが多い。そんなことはありません。女性でも車に興味を持っているとドイツの車にあこがれます。外見だけでなく、やはり車の重みというか質が良いと感じます。安全性、進化など日本にはない独自の味がどの車もあります。アウディー、VWなど乗りやすく私は好きです。

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Kotaro Harakawa のプロフィール写真
writer, medical doctor, JAPAN MENSA member


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