BMWの歴史 – 独立メーカーとして歩み続ける確固たるプライド

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開発指針の迷走と独立企業としてのあゆみ

第二次世界大戦後、BMWは不運にも東西ドイツに会社や生産設備が分断されてしまいます。これは主要施設が西側に集中していたダイムラー・ベンツやVWに比べて、自動車会社として立ち直るには非常に不利な条件となりました。このうち東側の工場はソ連により1945年には自動車製造が再開され、EMWを経て、AWEとなり、1991年まで東ドイツでヴァルトブルグなどの製造を行いました。

一方で西ドイツ側のBMWは鍋や釜の製造で食いつなぎつつ、ほどなく2輪車の設計と製造を再開します。しかし資金不足で4輪車の製造再開は順調に行かず、時代に合わない高級車を開発して販売不振に苦しみました。この時期、BMW社内の主要な技術者たちは独立して、AFMやヴェリタス・バディッシュ等の自動車会社を創設しました。これらの小規模な自動車会社はいずれも長く続かず、ほどなくBMW本体と合流するのですが、BMWの迷走具合を物語るエピソードです。

BMWの経営が安定する契機になったのは、イタリアはイソ社のバブルカーであるイセッタのライセンス製造を行ったことでした。イセッタはバブルカーと呼ばれていたジャンルの超小型車でしたが、BMWはこのイセッタに2輪車用の単気筒エンジンを搭載して本家イセッタよりも多い16万台を販売し、更にこのイセッタをベースにしたやや大型のイセッタである600も開発しました。

BMWイセッタ(1956年~62年)

一方でBMWの株主であるドイツ銀行は、BMW単独での再建は不可能だと判断しており、BMWをダイムラー・ベンツに吸収合併させる方針を打ち立てました。この方針は労組や他の株主からの大反対に合いましたが、最終的には実業家だったクヴァント一族が1959年に買収することでBMWの独立は保たれました。クヴァント時代の最初のBMWは700で、イセッタに普通の乗用車の車体を組み合わせたものでしたが、BMWはなんとか4輪メーカーとしての立ち位置を保つことが出来ました。

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ラインアップ確立と、いくつかの失策

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この記事へのコメント 3

  • Zenn のプロフィール写真 Zenn より:

    BMWは航空機が母体でWW2後に自動車に転換したんですね。日本のスバルに歴史が似ていますね。そういえば水平横置きのエンジンや吸気口のデザインがどことなく似ているような。

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  • いくじむ のプロフィール写真 いくじむ より:

    車メーカーの歴史って面白いですよね。トヨタもそうですけど。

    独立ブランドっていうのは大事だなぁと思うと共に、ヨーロッパの自動車ブランドの熾烈な争いを感じました。

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  • kisetu-ju のプロフィール写真 kisetu-ju より:

    ドイツ車は男性があこがれることが多い。そんなことはありません。女性でも車に興味を持っているとドイツの車にあこがれます。外見だけでなく、やはり車の重みというか質が良いと感じます。安全性、進化など日本にはない独自の味がどの車もあります。アウディー、VWなど乗りやすく私は好きです。

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Kotaro Harakawa のプロフィール写真
writer, medical doctor, JAPAN MENSA member


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