ムスリム難民 vs.ドイツ人?宗教のちがいが生む歪み
多くの難民を受け入れたことによって、歪みが見え始めてきたドイツ。その歪みの原因には文化の隔たりや言葉の壁などが上げられますが、そのなかでも特に重要なのが、宗教のちがいです。
ドイツはあまり宗教に縛られていない、というよりも宗教に比較的関心が薄い国ではありますが、根底にはキリスト教の文化が根付いています。
宗教に関心が少ない日本の文化にも、仏教や儒教、神道などの宗教的考えが根底にありますよね。それと似たようなものです。
国の文化の根幹を支えているともいえる宗教観。その宗教背景がまったくちがう人たちを、心の底から受け入れることはできるのでしょうか。
難民申請している人たちの宗教
トルコが「EUに加盟したい」と表明したときも、問題になったのが宗教観でした。
EUは国の人口に比例して議員数が決まります。なのでほかの参加国としては、トルコのようなイスラム教国家で、かつ人口が多い国が参加することへの反発が根強かったんです。
日本人にはなかなか理解しづらいことかもしれませんが、宗教がちがうとうまくいかない、というのは世界史を見ても明らかです。では、ドイツに来た難民の宗教観はどういったものなのでしょうか。

これを見てわかるように、難民申請をしている人のなかでイスラム教を信仰している人が73,1%と圧倒的です。
そのあとにキリスト教が13,8%、ヤジディ教が4,2%、ヒンドゥー教が0,5%、無宗教が1,4%が続き、その他、不明が7%となっています。
やはり難民としてドイツにやってくる人はイスラム教圏の人が多いんですね。そう考えれば、「イスラム教に飲みこまれる」と危機感を抱く人たちがいるのもうなずけます。さらに言えば、キリスト教にもいろいろあります。一概にキリスト教徒同士だから仲良こよし、というわけでもありません。
それなのに、問題となるのはやたらと「イスラム教」。難民の多くがイスラム教を信仰しているのもありますし、欧米のイスラム教アレルギーが日増しに強くなっているのも背景にあるでしょう。
ドイツ人とトルコ人はイスラム教をどう思っている?
人権が保障されているドイツでは、だれがどの宗教を信仰していようと、それによる差別はご法度です。ですが正直なところ、ドイツ人はイスラム教のことをどう思っているのでしょうか。
また、ドイツでどんどん人口を増しているトルコ系ドイツ人やトルコ人は、イスラム教のことをどう思っているのでしょうか。

トルコ系、というとまた定義があいまいですが、
1.トルコのパスポートを持っている、現在ドイツ在住のトルコ人
2.ドイツで生まれ育ったが、両親や先祖がトルコ出身でその文化背景を持つ人
のどちらか、もしくはどちらも指していると思われます。
興味深いのは、ドイツ人とトルコ系の人のイスラム教に対する考え方のギャップです。多くのドイツ人が、イスラム教は「女性軽視」「狂信」「暴力的な倫理観」の要素を持っていると答えています。トルコ系の人はこの3項目に対して、多くの人がそうは思っていないようです。
トルコ系の人の多くは「連帯感(お互い助け合う)」「平和を好む」「人権を尊重している」と答えているんですね。これは大きな意識な差です。
さらに顕著なのが、ドイツ人の64%が「暴力的な倫理観を持っている」と答えているのに対し、トルコ系の65%の人が「平和を好む」と答えているところです。すごく対照的ですね。「あー……」という感じです。
実際、イスラム教の教え自体は平和的なものであるはずです。ですが一部のイスラム教徒が暴力的手段に訴えていることによって、「イスラム教を信仰している人は、暴力的手段を正当化する倫理観を持っている」と思っているドイツ人が多くいるようです。理解できることですね。
ですがトルコ系の人としては、「それは一部であって、わたしたちは平和を愛している」といった認識のようです。
これは仕方のないギャップではありますが、このちがいは同じ国に住むことを考えるとどうにかしないとまずい気がしますね。
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こういった宗教が絡んでくる問題について、いままでは「よくわかんないけど、仲良くすりゃいいじゃん」くらいにしか思っていませんでした。が、この記事を読むとそうもいかない複雑な問題を孕んでいると感じました。
まず、ドイツに住むトルコ人の約半数が「ドイツにはもっとモスクが必要だ!」と言い、46%が「いつかドイツで、クリスチャンよりムスリムが多くなってほしい」と答えていることについて。率直な感想をいうと、「それ別に普通じゃね?」と思います。
もし、日本人である私がドイツに永住すると仮定して、「ドイツにはもっと神社・仏閣が必要と思いますか?」とYES/NOで問われたら、【YES】と答えます。
また、「いつかドイツで、クリスチャンより仏教徒が多くなってほしいですか?」と聞かれたら、【YES】と答えます。
それは、何もドイツを敵視しているとか乗っ取りたいとかそういうことではなく、単にそのほうが自分が住む土地として過ごしやすそうだと思うからです。ドイツに住むトルコ人の方たちの気持ちも、案外こんな感じだったりするのではないかと思うのです。
「じゃあ、敵対視していないのなら何も問題ないじゃないか?」というと多分そうでもないでしょう。
田中角栄の言葉で「政治は数だ、数は力だ、力は金だ」というものがありますよね。
数が増えれば増えるだけ力を持ち、後々政治に影響を与える可能性もあるということです。
それが例え、ドイツに住んでいるトルコ人の方たちがいくら平和的で寛大な気持ちでいようとも、です。
だから、平和的だろうと何だろうと「数こそ脅威」という意識がドイツ側、ひいてはEU側に働いているのだと思います。
そのことが、難民問題をより複雑にしているのだと考えました。
ドイツは国家として宗教的な色を排除しています。これは日本も同様です。一方米国やイギリスはキリスト教の国です。しかし国民にキリスト教を強制はしません。そして雑多な民族が暮らす米国で宗教紛争は起こっていません。ドイツに関しても調査で示されるようにドイツ人はやはりとても理性的です。記事で危惧するような宗教紛争のようなことにはならないでしょう。日本は歴史的にももっと宗教には寛容です。もともと神道と仏教を両方うまく使い分け、キリスト教をも受け入れています。だから日本は難民を受け入れてもっとうまくいく要素があると思うのですが、いつの時代も政府は閉鎖的です。
「いつか反動がくることはまちがいありません。」その通りな状態になりつつありますね。キリスト教とイスラム教は相容れないでしょう。日本の仏教は理解しようという動きはあるようですが、いざ自分の身に降りかかったらどうでしょうか。
初めから、ボタンの掛け違いをしてたような感じです。
帳尻を合わせるのは、難しいでしょうが。せめてその反動が。急速ではなく、もっとゆっくりなものになると良いですね。
その間に、相互和解の案が出たらと思います。
ドイツは沢山の難民を受け入れておりたしかにイスラム教徒が多いことは分かります。宗教のちがいによって混乱が起きているかというと大きな事件は無いように思えます。それだけ誰でもが、どんな宗教を信じていようが寛大なのだと思います。
宗教に間違い有りません。日本でもいろいろな宗教を信じている人たちがたくさん住んでます。平和をだれもが望んでいること良いところをお互いが認め合えればそれでよいのではないでしょうか?
日本の場合は新興宗教のイメージが著しく悪く、ステレオタイプ的に決め付けでそれを忌避している人も少なからずいます。思想・良心の自由が憲法にあるように、どちらかに傾くのは不自然に感じますが、実際に日本人の価値観を決めているのは個人個人の考え抜かれたものというより、メディア等で作られたものだと感じます。ただそれに沿っていったからといって幸せ、成功を手にするのとはちがいますでしょうが。
近代国家は政教分離が原則ですから政治的な意味で宗教色を出すことがないというだけです。だとしても、歴史的な影響までは排除できませんし、法制度や文化、習俗などにドイツ人はキリスト教色を、トルコ人はイスラム教色を残しているのは当然です。どちらの宗教も数世紀にわたって人々の内なる世界を形成してきたのですから、相手に対するイメージもそれぞれが自身について感じるイメージとは異なって当然ですね。
それでもなお、難民を受け入れ、共存をしていくには…。非常に難しい問題です。
宗教的な国民の感情が、移民問題を難しくしているのは事実ですね。
人権をキリスト教と比較するなら、歴史的にはイスラム教の方が寛容という見解もありますが。
ドイツとトルコのそれぞれのイスラム教に対する考えの違いを見て、自分はトルコの意見に賛同するべきだと思います。なぜならドイツのイスラム教に対する考えがあまりにもひどすぎると思ったからです。
ドイツがイスラム教を難民として迎えている中、シリア内戦などの問題が理由でドイツはイスラム教に対して特別な感情を抱いています。しかし、だからといってドイツがイスラム教のことをそこまで考えてしまうと、ドイツが今度、イスラム教と同じような結末を向かいかねません。いくら恨んでも何も生まれることはないと思います。
トルコはイスラム教に対していい宗教のように考えています。たとえ昔から悪い宗教でも悪事を重ねてきても、難民に陥っているなら、少しは助けてあげるといった感情を持てば、イスラム教は優しい宗教になり、争いも減っていくようになると思います。
これは本当に根深い問題ですよね。
イスラム教信者ははアッラーを唯一絶対の神と考えている(教義なのか一般論なのかは知りませんが)ために、お互いを認め合うことがより難しくなっているように思います。一方でドイツ人にとってはイスラム教の教義は受け入れ難いものであります。
一般論では、宗教への依存度は生活が困難な時には高まって安定していると低くなります。今後中東を中心としたイスラム教の国々が平和に発展していくことによって、イスラム教のあり方も変わってくるのではないでしょうか。
ドイツに暮らすイスラム教の二世・三世の若者たちも宗教に対して親世代よりも柔軟な考え方を持っています。
時間はかかりますが、徐々に融和の方向へ向かってほしいですね。
現状ではまだまだ反発が強いですが。