オペルの歴史 – 業績悪化とGMとのつながり

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GMへの事業売却

第一次世界大戦の勃発とその後の不況は、ドイツの各自動車会社にも多大な影響を与えましたが、特に薄利多売でシェアを伸ばしていたオペルは、1920年代に経営が深刻な状況に陥りました。折しもドイツには大衆車メーカーとしてフォードやGM(ゼネラル・モーターズ)などの巨大なアメリカ資本が進出、オペルは生き残りを賭けて様々な道を模索し、最終的に1929年にオペルはGMに買収されることになりました。

このとき、オペル一族は大株主に留まり、またオペルはGMのドイツ部門として、これまで通りの開発や生産を行っていくという、俗に言うWin-Winの関係でした。ところが同じ1929年秋、世界大恐慌で景気は更に悪化します。

また、1930年代に入るとドイツ政府は自動車産業への注力を国策のひとつとして掲げるも、純ドイツ資本であるダイムラー・ベンツやアウトウニオンを優遇し、フェルディナント・ポルシェにKdFの設計を依頼する一方で、アメリカ資本のオペルは冷遇され、執拗な書類手続きを強いたり、資材の供給を邪魔するなどの嫌がらせを行いました。それでもこの時期のオペルはオリンピアやカデットなどの名車を発売し、自動車史に名を刻んだのです。

オリンピア(1935年~1937年)

しかし遂に1940年、オペルの工場は軍需関連工場に転換するように命令が出され、GMは止む無く撤退しました。GM撤退後もオペル関係者の尽力で乗用車製造は100万台を達成するまでは続けられますが、そこで乗用車メーカーとしてのオペルは一旦休止し、以降は軍用トラックや航空機用部品の製造を行います。ここでも外資下にあった経緯から、オペルの工場は監視対象に置かれるなど、厳しい扱いを受けました。

かくして戦禍に巻き込まれたオペルは、終戦までに創業の地であるリュッセルスハイムの工場を含む、殆どの生産設備を爆撃により失ってしまったのです。

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グローバルカー構想に基づく戦略

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この記事へのコメント 1

  • Zenn のプロフィール写真 Zenn より:

    オペルはミシン・自転車から出発して、WW2後はアメリカ(GM)が再建したんですね。保守的な設計を逆に売りにするというのが面白いですね。ドイツの自動車各社の歴史を紐解くといろいろと発見がありますね。

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Kotaro Harakawa のプロフィール写真
writer, medical doctor, JAPAN MENSA member


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