オペルの歴史 – 業績悪化とGMとのつながり

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グローバルカー構想に基づく戦略

第二次世界大戦後、壊滅的な状況にあったオペルでしたが、1946年にはGMが支援を開始、ドイツの自動車メーカーとしては戦後の比較的早い段階から、やや上級のオリンピアの生産を再開しました。より経済的な小型車カデットは、生産設備が破壊されていた上に、残された資料や治具なども戦後早々にソ連が国へ持ち帰ってしまい、容易に生産することが出来ない状況になっていたのです。

オペルにとっては不運なことでしたが、カデットの保守的ながら完成度や信頼性の高さを裏付けるエピソードです。(対照的にKdFをフォルクスワーゲンとして再生させたのはフランスでした)こうして再生への道を進み始めたオペルは、少しずつ勢いを取り戻し、GMのヨーロッパでのシェア拡大の要として存在感を発揮します。

カデットB(1965年~1973年)

カデットという名前を復活させた1960年代からは、1925年からGMの傘下だったイギリスの老舗自動車会社であるボクスホールとの統合が進み始めますが、開発の主体はオペルが握り、オペルがボクスホールを吸収する様な構図になりました。この時期から日本人の児玉英雄がオペルのデザイナーとして就任し、以来約40年に渡ってデザインに携わったことも触れておきましょう。

1970年代になるとGMのグローバルカー構想に基づいた戦略が開始され、オペルはその第一弾である”Tカー”のプラットフォーム開発を担い、ヨーロッパ以外でも販売されるGMの他モデルと設計を共通化しました。この様な共通化は開発コストの低減や開発時間の短縮が行われ競争力が強まる一方で、作ってしまったものについては容易に変えられないという一長一短があります。

例えば登場時にはオペルが競合車よりも優位だったにも関わらず、ライバルに追い抜かれてもモデルチェンジに時間がかかり陳腐化が進む様な状況も増え始めました。また、GM全体の戦略に左右されるため、競合他社が手がけていた東側諸国や発展途上国に進出することによる利益拡大も、オペルにとっては困難でした。

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業績悪化と再生への道のり

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この記事へのコメント 1

  • Zenn のプロフィール写真 Zenn より:

    オペルはミシン・自転車から出発して、WW2後はアメリカ(GM)が再建したんですね。保守的な設計を逆に売りにするというのが面白いですね。ドイツの自動車各社の歴史を紐解くといろいろと発見がありますね。

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Kotaro Harakawa のプロフィール写真
writer, medical doctor, JAPAN MENSA member


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