オペルの歴史 – 業績悪化とGMとのつながり

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業績悪化と再生への道のり

1980年に勃発したイラン・イラク戦争によるガソリン価格高騰とそれに伴う自動車産業の失速は、特に巨象GMの中では今ひとつフットワークが重く、技術的な独自性が希薄だったオペルにとっては深刻な問題となりました。

勿論この時期のオペルに独自性が皆無だったということはなく、1984年頃からは空力対策を徹底しており、1989年に発売されたスポーツクーペのカリブラは空気抵抗係数が0.26という当時としては異例で、2010年代の水準でも優秀な成績を出しましたが、エンジンや足回りに新機軸を相次いで投入してくるドイツのライバル勢に比べると、決定打とはなりませんでした。

経営改善の必要性から1987年に新たにオペルの生産管理部門に就任したスペイン人のホセ・イグナシオ・ロペスはサプライヤーに対して徹底したコストカットを要請します。ライバルのような技術的な進化を伴わない単純なコストカットは少しの間、オペルの業績を改善させますが、品質や信頼性の著しい低下として跳ね返り、オペルのブランドイメージはヨーロッパ内外で著しく低下しました。

1990年代半ばにはロペスはオペルを離れてライバルのVWに移籍しますが、2000年代に至っても業績は悪化を続けました。一連の事象はロペス・エフェクト(López-Effekt)として揶揄されています。オペルにとって悪いことに、2001年の同時多発テロ以来経営が悪化していた親会社のGMが2009年に遂に経営破綻、赤字だったオペルはスウェーデンのサーブなどと共に売却対象となりました。オペルの売却先としてはカナダのマグナ・インターナショナルとロシア貯蓄銀行などからなる企業連合が決まりましたが、GMは土壇場でこれを撤回し、その優柔不断さは批判の対象ともなりました。

アストラJ(2009年)

そんなオペルでしたが、再建を進めるGM本体のプラットフォーム開発やブランド再編などの合理化の恩恵もあり、2014年以降はドイツでの販売シェアを少しずつ回復させています。懸案事項だった信頼性も改善し、品質も高く評価されるほどになりました。一方で基本的には保守的な設計が継続されており、オペル自身も自社カタログ等で、他社に対してそれを売りにすることもあります。

成長著しい中国市場をあまり意識せずにヨーロッパ本土を主市場とするオペルは、この先も良い意味で保守的なメーカーとして成長していくことが期待されています。

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オペル歴史年表

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この記事へのコメント 1

  • Zenn のプロフィール写真 Zenn より:

    オペルはミシン・自転車から出発して、WW2後はアメリカ(GM)が再建したんですね。保守的な設計を逆に売りにするというのが面白いですね。ドイツの自動車各社の歴史を紐解くといろいろと発見がありますね。

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Kotaro Harakawa のプロフィール写真
writer, medical doctor, JAPAN MENSA member


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