ドイツの政治教育が本気すぎて日本に絶望する
議論で自覚させる教育
そもそも、政治教育の目的とはなんでしょうか。政治のしくみは教養として求められているのだと思いますが、政治教育の最終目的といわれれば、なんでしょう。得票率を上げること?若者に政治参加させること?みなさんはどう思いますか?
わたしは、「政治を考えること」だと思うんですね。
政治って、本来すごく身近なものなはずなのに、なんだか他人事みたいに思えませんか? でもそれじゃダメなんですよね。国民みんなが政治を他人事だと思ってちゃダメです。じゃあそこでなにが必要かといわれれば、「議論」でしょう。
議論する場になれば、みんなが「自分はどう思うか」を考えます。ドイツはそれを大切にしているのです。たとえばいまで言えば、「憲法の9条はどう解釈すべきか」というテーマはどうでしょう。「自分の意見を述べてください」と言われれば、いままで他人事だと思っていた人も、自分のこととして考えるはずです。
原則にあるように、政治的テーマに関して、議論があるのは当然。そう、当然なのです。だからこそ議論するのです。政治を学ぶにあたって、「議論」は欠かすことのできない重要な要素です。
少数派が多数存在するドイツ
多くの民主国家は、多数決制をとっています。議論が大切であることは大前提ですが、だからといって全国民の意見を受け入れられるかといわれれば、そうではありません。やはり多数というのは、いつの場合でも有利です。
日本は、大部分が同じ民族の国民で成り立っています。外国人は少ないし、移民の受け入れは、ないに等しいレベルです。意見がわかれるといっても、多くの場合は同じ文化背景や言語環境に身を置いている人たちの意見です。
ですが、ドイツには日本の環境とはちがった、多くの「少数派」が存在します。
たとえばトルコからの移民でも、生まれも育ちもドイツの人もいます。その中でも、自分のアイデンティティーはトルコ人である、という人もいれば、血はトルコでもメンタルとしてはドイツ人だ、という人もいます。たとえば同じ移民、イスラム教の国から、といっても文化背景は細かく異なり、ちがうコミュニティーを築いています。
そんな多用な少数派を抱えているドイツにとって、議論は欠かせません。多くの文化背景や多様な考え方を受け入れ、お互い妥協しながら国を運営するしかないのです。そのためには、一方の考えだけでなく、別の視点があるということを示唆しなくてはいけません。そのための政治教育、議論です。子どものうちから、いろいろな視点があることを学び、多用な価値観を受け入れる土壌を育てます。
日本の政治教育、、、遅れているというか、ほぼやってないに等しい。
経済もある程度安定してて、ほぼ単一民族で構成されてて、島国で他国から難民が流れてくるようなこともないから、みんな平和ボケしてて政治に無関心でいられるのだと思う。
年に100万人も難民がやってきて、生活環境がガラッと変わるドイツじゃそうも行かない。政治に関心を持たせるには、国民が政治に必要性を感じる段階まで来ないと難しい。
政治教育なんて、日本ではまだまだ先の話だろう。政治の本質からズレた政治家叩きや、芸能人のゴシップのほうがよっぽど重要。
ドイツは、過去に国民の政治的無関心がナチスを生んだとの反省が、こういった政治教育に反映しているのでしょう。日本では、日本を戦争に向かわせた人々がなんとなく生き延びていて、徹底した評価や反省をしないで来ています。その結果なんとなく戦争に向かった日本を肯定するような雰囲気を醸成仕様としています。とても危険なにおいがするし、そういった事がアジア諸国から警戒される要因になっています。このごまかし体質から脱却しないといつかまた日本は戦争の引き金を引いてしまうのではないかとおそれます。
日本は、やはり水と平和が無料で当然、と思っている国なのです。
おっとりしているのと、ボケているのとは違います。
もちろん、不必要に危機感を煽る必要は、ないですが。
でも、これから若者の投票権が、数字を左右出来るように、なったことで。
日本の政治教育が、よい方向に向かうことを願います。
「ジュニア選挙」いいですね。日本でも18歳からの選挙権になったのだから、その前の練習としてやればいいですね。未来を担うのは彼らなんですから。もしその結果が報道されるようになると面白いことになるような気がします。