ポルシェの歴史 – フェルナンドポルシェが生み出す最高傑作

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フェリー・ポルシェによる自動車製造の開始と、地位の確立

ポルシェ911

フェルディナントがフランスで逮捕されたとき、同行していて逮捕されたのが息子のフェリー・ポルシェことフェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェであった。

フェリーはポルシェ事務所の開業以来、戦時中も父親と一緒に仕事をしてきたが、父親よりも先に保釈が認められたので最後に拠点を置いていたオーストリアに帰国、フェルディナントの釈放に尽力していた。この時期、フェリーは小型で高性能な理想的な自動車の開発も行っている。

356と名付けられたこの自動車は、空冷水平対向6気筒エンジンをリアに積んだスポーツカーとして完成し、連合国から返還されたドイツ・シュトゥットガルトの工場で1950年に量産を開始、”ポルシェ”は自動車設計事務所から自動車メーカーとして再出発をしている。

ポルシェの再出発を見届けたフェルディナントは1951年の初頭、75歳の生涯を閉じることとなる。獄中生活を終えたあとも体調は優れなかったといい、前年には誕生日に356を贈られたばかりであった。

翌1952年には、シュトゥットガルト市の紋章に当時のバーデン=ヴュルテンベルク州の紋章を組み合わせた、有名なロゴマークが設定されている。ポルシェは順調であった。356の後継として1964年に発売された主力車種の911は大きく高価になったにも関わらず人気で、名声は留まるところを知らなかったと言われている。

本業だった設計請負も継続し、色々なメーカーがポルシェに設計を依頼していた。中にはアメリカのNASAが月面車の設計を依頼してきたというケースまでもがあり、ポルシェはこれを5000万ドルで請け負っている。

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根強い人気を誇る911、新製品開発におけるジレンマとは?

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この記事へのコメント 3

  • Zenn のプロフィール写真 Zenn より:

    「ポルシェ設計の戦車」って見てみたいです。でもそのせいで刑務所に収監されていたとは、なんとも残念です。ダイムラーにも在籍していたんですね、ドイツの自動車産業の奥深さを感じます。(全く関係ないんですが、きょう偶然ポルシェ911と公道で並走したので思わずコメントしました。)

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  • まいける のプロフィール写真 まいける より:

    ポルシェはスポーツカーブランドとしては破格の生産量を誇っています。やはり耐久レースなどで抜群の成績を誇っていたことが影響しているのでしょう。それでいてF1には挑戦していないのは、F1の開発は量産車の開発にはあまり役に立たないとおもっているのかもしれませんね。

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  • リリオ のプロフィール写真 リリオ より:

    実はポルシェがドイツのメーカーとは知りませんでした。てっきりイタリアのメーカーだと思っていました。エンブレムがとことなくイタリアっぽい感じがするので…。

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Kotaro Harakawa のプロフィール写真
writer, medical doctor, JAPAN MENSA member


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